【TKFFC2021】BSFFF賞・広島こわい映画祭賞・ハンブルク日本映画祭賞結果発表!

いつも東京神田神保町映画祭を応援頂きありがとうございます。当映画祭の提携する映画祭への招待上映が副賞となるTKFFC2021「ハンブルグ日本映画祭賞」「ブルックリンサイファイフィルムフェスティバル賞」「広島こわい映画祭賞」に下記の作品が選出されました!受賞作品の監督及び関係の皆様、誠におめでとうございます!

BSFFF賞

▼審査員紹介▼

河野 洋

サイファイ審査

名古屋市出身、ニューヨーク在住、プロデューサー。 1992年に渡米、2003年にレコード会社「Mar Creation」を設立し、2008年からライブ・イベントのプロデュース、アーティスト・マネジメントを行う。 2012年に「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」、2021年に「シカゴ日本映画コレクティブ」という2つのインディペンデント映画祭を設立。 他にも、門真国際映画祭の顧問、ブルックリンSciFi映画祭でアウトリーチ・ディレクター、ボストン日本映画祭ではクリエイティブ・ディレクターを務め、あいち国際女性映画祭など様々な映画祭と提携している。映画祭以外にも、アメリカNPO法人 CATCH US PERFORMING ARTS (CUPA)副代表理事、 NY愛知県人会代表としても活動している。

マイケル・ブラウン

ブルックリン・サイファイ・フィルム・フェスティバル創設者兼エグゼクティブディレクター

ヴィンテージシンセサイザー、インディペンデント映画、持続可能な技術、SFの熱心なファンであり、技術者として定評がある。テクノロジー企業Cyber-NYの創設者として、インディペンデント映画、フィットネス、映画祭のためのVOD(ビデオ・オンデマンド)プラットフォームの開発などに携わっている。ブルックリンに妻、二人の子供、小犬スパーキーと住み、時々、NWSPRというペンネームで奇抜なニューウェーブ音楽を演奏している。

ジェイソン・ルイス

ブルックリン・サイファイ・フィルム・フェスティバル創設者兼運営ディレクター

ジェイソン・ルイスは、ブルックリン・サイファイ・フィルム・フェスティバルのオペレーション・ディレクター。BSFFFの応募、選考、ビジュアルを総括する。映画愛好家であると同時に、アーティスト、キュレーター、ニューヨーク・ブルックリンにある王立芸術協会(The Royal Society of American Art)のディレクターでもある。ニューヨークのアート界とその周辺での長年の経験から、独創的な精神においてユニークな視点を持ち、ニューヨークや国際的な場で幅広い活動を可能にしている。

ヴィンセント・キーン

ブルックリン・サイファイ・フィルム・フェスティバル創設者兼クリエイティブ・ディレクター

ブルックリン・サイファイ・フィルム・フェスティバルを支えるクリエイティブな原動力。 BigBully Creativeの創設者であり、Cyber-NYのクリエイティブ・ディレクターでもあるヴィンセントは、映画、出版、広告、ブランディングなどの分野で画期的な仕事を手がけている。 また、企業や社会的なイベントのためにヴィンテージ自動車を使った移動式バーとブランドアクティベーション会社、Bubbles & Brews NYを立ち上げ、運営する。 余暇は、スノーボーダー、写真家、映画ファン、旅行家として楽しんでいる。 ブルックリンで妻、子供、猫と暮らす。

「Digital Tattoo」

22分 呂翼東監督

広島こわい映画祭賞

▼審査員紹介▼

矢澤 利弘

サイファイ審査

広島こわい映画祭プロデューサー。県立広島大学教授。1965年東京生まれ。小学校、中学校と神田神保町で過ごす。 07年に発表した『ダリオ・アルジェント 恐怖の幾何学』(ABC出版)はイタリアの映画監督ダリオ・アルジェントに関する日本で初めての本格的研究書として注目を集める。 ホラー映画を本格的に研究するためのアルジェント研究会を2004年から主宰。 雑誌等に論評を寄稿するなど、映画批評家としても幅広く活動する。 公認会計士としても情報開示や映像ビジネスの諸問題、映画祭のマネジメントなどについて企業や地方自治体にアドバイスを提供している。著書・論文に『イタリアンホラーの密かな愉しみ』(フィルムアート社、共著)『映画祭のマネジメントの研究』など多数。

「ある日、ある女」

68分  光平哲也監督

ハンブルク日本映画祭賞

▼審査員紹介▼

オリバー・ゲオルグ

一次・サイファイ・本審査

80年代末には、当時夢中だった「ジャンル映画」熱は冷め、関心は香港映画に移行していきました。塚本晋也監督の「鉄男」を見て初めて日本映画を発見して魅了され、その当時は残念ながら英語字幕つきの日本映画が少なかったものの、そこから先5年、自由時間を様々な映画祭に没頭するきっかけとなりました。常に新しい日本映画を探し求め、MIFEDのような国際見本市にたどり着き、時をかけて経験を積みながら、友人たちと一緒にハンブルク日本映画祭を立ち上げました。早いもので、2021年には22回目の映画祭を迎えます。日本人の妻のおかげで日本という国と人々に心から親近感を抱くことができました。また、2013年には日本映画レーベル「緑インパルス」を興し、ハンブルク日本映画祭とともに、日本映画に関心を持つ方々とこの熱情を分かち合う機会を与えてもらっています。

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